ボタンのなんとなく美術史

画家の人生や作品についてつれづれなるままに。読むとちょっと美術の歴史にくわしくなれるブログを目指します。

橘小夢 妖美あふれる幻想的日本画の世界

こんにちは、ボタンです。

 

今回の記事でご紹介するのは、妖しく幻想的な日本画を追求した画家、橘小夢〈たちばな さゆめ〉です。

 

皆さんは、橘小夢の名前をご存知でしょうか?

 

明治時代に生まれた画家で、画業は大正から昭和に及びます。

 

 

その1 小夢の生涯

 

橘小夢の本名は加藤凞〈かとう ひろし〉。

 

明治25年に秋田市で生を受けました。

 

心臓疾患のため幼い頃から病弱であったといいます。

 

漢学者の父のもと、政治や文化の最新情報に触れながら成長した小夢でしたが、六歳のときに母親が他界。

 

父親が再婚するまでの四年間、諏訪神社の神主宅に預けられ、父親のもとを離れて暮らしていました。

 

明治41年(1908年)、十六歳のときに上京。

 

洋画を学んだ後、川端画学校で日本画を学びました。

 

この時点では小説家になるか画家になるか迷っていたようですが、結局は画家の道を選びました。

 

大正初期、小夢のコマ絵が、雑誌『淑女画報』や『女学世界』に掲載されるようになります。

 

コマ絵とは、雑誌や新聞に掲載された、周囲の記事とは関連性をもたない絵のことです。

 

明治末から大正時代にかけてこのコマ絵が流行りを見せるのですが、その第一人者が竹久夢二でした。

 

竹久夢二といえば、アンニュイな女性像「夢二式美人」で有名ですね。

 

この頃の小夢の絵には、「夢二式美人」の影響が指摘されています。

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図1 橘小夢作《梅咲く日》1917年2月号『女学世界』コマ絵

 

観てみると、確かに夢二!という感じ。

 

けれど、目のつりあがった狐顔の女性には、すでに小夢らしい妖しさが漂い始めているような……?

 

大正七、八年(1918~19年)頃には橘小夢の作品の愛好家たちによる小夢を支援する会が発足します。

 

小夢は彼らに支えられながら、生涯をつうじて日本画の制作にも取り組むのです。

 

また、大正末から昭和初期にかけては出版文化が栄えた時代で、小夢は怪奇ミステリからユーモラスなものまで、さまざまな挿絵を手掛けます。

 

また、自宅を『夜華異相画房〈やかいそうがぼう〉』と称した版元として、版画の自費出版にも取り組みました。

 

けれど、その記念すべき第一回が発禁処分となってしまいます……。

 

昭和初年代からの軍国主義的風潮は、小夢の幻想美あふれる作品とは相いれないものだったのです。

 

不遇を囲い、第二次世界大戦を経て、病などもあり筆を持たない期間を挟みつつ、その後60代まで制作を続けました。

 

昭和45年、小夢は77歳でその生涯を終えました。

 

その2 小夢の作品

 

それでは実際に、小夢が描いた作品をいくつかご紹介したいと思います。

 

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図2 橘小夢作《玉藻前》1933年制作 個人蔵

 

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図3橘小夢《玉藻前》一部 制作年不明 個人蔵

どちらも玉藻前を描いたものです。

 

玉藻前といえば、帝をたぶらかして都に災厄をもたらした金色のきつねが化けた美女ですね。

 

小夢は日本の伝説を愛し、それをもとに多くの絵を制作しました。

 

金色のきつねといえば、日本昔話の中では例外的なぐらい壮大でスペクタクルなお話ですが、小夢は玉藻前に特にこだわりがあり、何度も描いているようです。

 

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図4 橘小夢《安珍清姫》大正末頃制作 弥生美術館所蔵

こちらも有名な安珍清姫伝説から。

 

愛しの安珍を蛇になって追いかけ、最後には殺してしまう哀しくも恐ろしい清姫の情念が静かに迫る作品ですね。

 

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図5 橘小夢《花魁》1923年制作 個人蔵

《花魁》というタイトルですが、どこか人外の色気をただよわせる花魁ですね。

 

この着物の質感どうなってるんだ……と思わず手を伸ばして触ってみたくなるような絵です。

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図6 橘小夢《刺青》1923年制作 個人蔵

谷崎潤一郎の小説『刺青』から着想を得た木版画です。

 

妖美という言葉では拾いきれないダークサイドをうかがわせる絵です。

 

見ていると肌がかゆくなってくるというか痛くなってくるというか……。

 

 

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図7 橘小夢《押絵と旅する男》1935年制作 個人蔵

押絵と旅する男』といえば、江戸川乱歩の短編小説です。

 

乱歩は明智小五郎ものの探偵小説で名が知られていますが『人間椅子』みたいな怪奇小説(変態小説?)でも有名ですよね。

 

この作品は雑誌の挿絵として描かれたのか、それとも小夢が乱歩作品から着想を得て描いたものなのか不明だそうです。

 

いずれにしろ、乱歩と小夢の相性の良さ抜群です。

 

その3 ビアズリーの影響?

 

橘小夢には、西洋の世紀末象徴主義の画家、オーブリー・ビアズリーの影響が指摘されています。※ビアズリーについてはこちらで詳しく説明しています。→オーブリー・ビアズリー 世紀末に散った華 - ボタンのなんとなく美術史 (hatenablog.com)

 

どこかグロテスクで悪魔的な画風はたしかにビアズリーを思わせます。

 

ただし、ビアズリーは日本の浮世絵などの影響を受けて独自の様式を成立させた画家なので、構図がどうとかいう話になると鶏が先か卵が先かみたいなお話になりそうで私の手には負えません。

 

今回は小夢が自分の作品に残したサインがどことなくビアズリーのものを思わせるのでそれを指摘するにとどめておきたいと思います。

 

こちら、先ほどご紹介した《押絵と旅する男》の一部です。

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図8 《押絵と旅する男》一部

オレンジ色の〇で囲った箇所にある蜘蛛の巣?みたいなやつが小夢のサインと思われます。

 

続いてこちらがビアズリーが自分の作品に好んで残していたマークです。

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図9 ビアズリーのマーク

ちょっと似てませんか?

 

もっともビアズリーのマーク自体、日本語が縦書きのために縦長のサインが浮世絵などに描かれているのを参考にして、このマークを考案した可能性があります。

 

結局、鶏が先か卵が先か問題になってしまうのですね……。

 

 

その4 まとめ

 

生前正当な評価を得られなかったことにより、謎の部分が多かった小夢ですが、平成に入ってから再評価され、展覧会も開催されました。

 

そして画家としては不遇だった小夢ですが、家族に恵まれた生涯だったようです。

 

いかがだったでしょうか?

 

橘小夢のことをもっと知りたい、もっと作品を見てみたいという方にはこちらをおすすめします。

作品も豊富に紹介されていますが、小説家志望でもあった小夢の小説や短歌も掲載されていて情報満載の一冊です。

 

こちらはちょっと毛色が違います。

小夢の作品だけを取り扱っているわけではないのですが、『帝都物語』で有名な荒俣宏の目を通した橘小夢にご興味のある方はぜひ手に取ってみてください。

 

 

お読みいただきありがとうございました!

 

図版参照元 参考文献

加藤宏明、他『橘小夢 幻の画家 謎の生涯を解く』河出書房新社(2015年)