ボタンのなんとなく美術史

画家の人生や作品についてつれづれなるままに。読むとちょっと美術の歴史にくわしくなれるブログを目指します。

ボッティチェリ 《ヴィーナスの誕生》を描いた初期ルネサンスの画家

こんにちは、ボタンです。

 

今回は、初期ルネサンスの画家、サンドロ・ボッティチェリを紹介したいと思います。

 

本名は、アレッサンドロ・ディ・マリアーノ・ヴァンニ・フィリペーピ。

 

ヴィーナスの誕生》や《春》で有名な画家ですね。

 

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図1《ヴィーナスの誕生》1485年頃制作 ウフィツィ美術館所蔵

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図2《春》1482年頃制作 ウフィツィ美術館所蔵

プリマヴェーラ》と表記されることも多い。


 

ぱっと見ただけで、ボッティチェリか、もしくはボッティチェリの影響を受けた画家の作品だなぁと分かる印象的な女性像を描いた画家です。

 

ご存知の方も多いのではないでしょうか。

 

ボッティチェリのご紹介をしようと思い至ったのには訳がありまして、最近、ドラマのハンニバルを観たのですが、そこにボッティチェリの作品がすごく印象的な出方をしていたんですね……。

ハンニバルは将軍の方ではなくて、『羊たちの沈黙』でおなじみの殺人鬼ハンニバル・レクターの方です。

 

映画の方でもアンソニー・ホプキンスの狂演が光っていますが、ドラマもレクター博士役のマッツ・ミケルセンが色気のある殺人鬼を演じています。

 

このドラマ、不謹慎な言い方をしますと、死体をアーティスティックに飾る傾向があります。

 

ボッティチェリへのオマージュなのか、《春》がえらいことになっていました 笑

 

とても面白いドラマなのでおすすめしたいのですが、グロテスクな表現が得意でない方は観ると夜寝られなくなるかも知れません。

 

 

その1 ボッティチェリの生涯

 

とりあえず殺人鬼とは切り離してボッティチェリの生涯を簡単にご紹介したいと思います。

 

1444年、サンドロ・ボッティチェリフィレンツェのマリアーノ・フィリペーピの子として生を受けます。

 

1460年頃には、フィレンツェの隣町プラートに工房をかまえる画家フィリッポ・リッピに弟子入りして修行に励みます。

 

当時、ヨーロッパでは画家になるためには、画家の工房に入るのが一般的でした。

 

今は画家といえばアーティストですが、当時は画家=職人という意識の方が強かったようです。

 

フィリッポ・リッピの工房で絵を描くからには、リッピの看板を背負い絵を描くことになります。

 

ボッティチェリの個性というより、工房の特色を出すために親方画家の絵の徹底的模倣が求められたのです。

 

ここでボッティチェリは絵の基礎を学び、独自の絵を描くための足掛かりとしたのでした。

 

後世に残っている情報によれば、ボッティチェリの人生は晩年に差し掛かる前は、なかなか順風満帆であったようです。

 

デビュー作《剛毅擬人画》で名を上げ、順調に作品を世に出していきます。

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図3《剛毅儀人像》1470年制作 ウフィツィ美術館所蔵

 

メディチ家というパトロンにも恵まれ、自分の工房も持ちます。

 

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図4《聖母子と6聖人》1470年頃制作 ウフィツィ美術館所蔵

メディチ家によってボッティチェリに注文されたと考えられている祭壇画。画面手前にひざまずく赤いマントの二人は、メディチ家守護聖人である聖コスマスと聖ダミアヌス。

 

ボッティチェリがフィリッポ・リッピの工房でリッピの特色を持つ絵を描いたように、ボッティチェリ公房の特色をそなえた絵を世に出す職人画家集団を得たわけです。

 

一時代においては、最も人気のある画家の一人として活躍したボッティチェリは1510年にその生涯を閉じます。

 

享年65~66歳。

 

最後の五年間ほどは身体を悪くして、金銭的な余裕もなく困窮していたようです。

 

そして、生前は高名をはせたボッティチェリですが、実はその死後、名声は衰えてしまいました。

 

再び日の目を見るのは、300年以上後の19世紀になってからのことです。

 

 

その2 ヴァザーリの著書に描写されるボッティチェリ

 

ヴァザーリの『画家・彫刻家・建築家列伝』をご存知でしょうか?

 

美術史という学問の始まりともいわれる有名な著作で、ルネサンス期に活躍した重要な芸術家たちの人生と画業を紹介する伝記となっています。

 

著者のヴァザーリが生きた時代が画家たちの生きた時代と近いこともあって、当時の生の情報に近いものが得られる魅力があります。

 

ただし、ヴァザーリの思い込みとか勘違いとかもある模様で、うのみにするのはちょっと怖い、そんな本です。(あと、ほめ方が大仰になりがちです)

 

ヴァザーリの記述によれば、ボッティチェリは、『たいへん愉快な気持ちのよい人物で、自分の弟子や友だちにたいしてよくふざけた真似をした』人物であったようです。

 

ヴィーナスの誕生》に描かれた憂いを帯びたヴィーナス像からは想像しがたい人柄ですね。

 

下欄参考文献に載せている『ルネサンス画人伝』におふざけエピソードが載っていますので、気になる方はぜひ確認してみてください。

 

ちなみに、ボッティチェリという名前は、「小樽」という意味で、元々は太っていたお兄さんのあだ名だったようです。

 

本人の特徴ですらないのに、それがそのまま通称になってしまうとは……。

 

 

その3 まとめ

 

最初に書いたとおり、ボッティチェリは初期ルネサンスの画家です。

 

ルネサンス最盛期の画家といえば、レオナルド・ダ・ヴィンチラファエロがあげられますが、長い間、ルネサンス最盛期の絵を理想とする考えが西洋にはありました。

 

この考えでいくと、ボッティチェリは理想への足掛かり的存在としては数えられても、『理想』成立以前の画家でしかありません。

 

19世紀後半、フィレンツェではなく英国の地にて熱烈な支持を得るまで、長い長い眠りの時があったのでした。

 

再評価される画家がいる一方で、忘れられたまま埋もれている素敵な画家が他にもいるんだろうなぁなんて思うと内心穏やかではいられませんね……。

 

でも、そういうところも美術の面白さかも知れません。

 

ボッティチェリのことをもっと知りたいなという方は、こちらの書籍をご参照ください。

ボッティチェリの生涯や作品の拾っておくべきトピックスを分かりやすく教えてくれます。

 

それでは、お読みいただきありがとうございました!

 

 

 図版参照元

 

ウフィツィ美術館HP The Uffizi Galleries

 

参考文献

 

 書籍

谷啓徳『もっと知りたいボッティチェリ 生涯と作品』東京美術(2009)

バルバラ・ダイムリング『ボッティチェリタッシェン・ジャパン(2001)

ヴァザーリ、訳:田中英道、他『ルネサンス画人伝』白水社(1982)

論文

堀川麗子「三つの「ラファエル前派」とイタリア初期ルネサンス美術受容」、『愛国学園大学人間文化研究紀要』第11号、p49~60(2009)