流転するサロメ 世紀末をいろどったファム・ファタール
こんにちは、ボタンです。
今回の記事のテーマは19世紀末を象徴する宿命の女、サロメです。
もしかしたら、【宿命の女】というよりも、【ファム・ファタール】といった方がとおりが良いかもしれません。
フランス語の綴りはfemme fatal
日本語に訳されるときは【宿命の女】が一般的に使われていますが、岩波の美術用語辞典によると【死をもたらす女】といった方が正しいようです。
男性を魅惑して、最後には破滅させてしまう女。
それこそがファム・ファタールなのです。
19世紀末のヨーロッパにおいて、このファム・ファタールを描いた数々の作品が生まれました。
多くの画家たちが、こぞって【宿命の女】ないし【死をもたらす女】を描いたのです。
この流行の影には、19世紀末がミソジニー(女嫌い)の時代であったことが関係しています。
女嫌いが流行った、などと書くとなんだか違和感を覚えてしまいますが……
女嫌いの流行には、女性解放運動との関連性が考えられます。
家庭の天使たることが美徳とされる女性たちが、私たちにも参政権が与えられるべきだ!と声を上げ始めたわけです。
【主張する女】に対する当時の男性たちの侮蔑や恐怖を映し出した鏡の虚像こそが【ファム・ファタール】であるといえそうです。
その代表格がサロメなのです。
その1 サロメって何者?
内容はざっとこんな感じです。
『洗礼者ヨハネはガラリヤの領主ヘロデを批判して投獄されてしまう。ヘロデは兄から玉座を奪ったのみならず、兄の妻であるヘロディアスと結婚するという禁を犯していたのだ。(兄弟の配偶者との結婚は近親相姦とみなされていた。)ある日の宴のこと、ヘロデは妻ヘロディアスの連れ子の少女に舞を舞うよう命じ、少女は見事に踊ってみせたので褒美になんでも欲しいものをやると約束した。少女は母親になにを求めるべきか相談し、母の言いつけどおり、「盆にのせたヨハネの首」を所望する。ヘロデは約束した手前、それを守らざるを得ず、ヨハネを殺させて首を少女にやった』
サロメって名前が出てこない!
舞を舞った連れ子の少女こそが、19世紀末を妖しく彩ったサロメその人なのですが、大元である聖書では名前すら出てこない脇役的存在です。
どっちかというと母親のヘロディアスの方が【死をもたらす女】という感じがします。
サロメの名前が初登場するのは、『ユダヤ古代誌』という1世紀頃に書かれた歴史書なんだとか。
サロメって何者?という問いの答えは、
「ママの言いつけに従って洗礼者ヨハネを死刑にしちゃった踊りが得意な女の子」
ということになります。
その2 変容するサロメ
聖書の時点でやばいといえばものすごくやばいですが、あくまで母親に従っているだけの女の子だったサロメは、時代が下っていくにつれて、【自ら首を所望する女】へと変貌していきます。
初期の絵画では登場していた母親のヘロディアスがいずこへかと引っ込み、サロメと首のツーショットの絵が描かれるようになるのです。
15世紀以降、
生首を盆にのせてハイ、チーズ。
って感じのサロメの絵がたくさん描かれています。
こちらは16世紀のティツィアーノの作品です。
まぎらわしいのが、もうひとりの首切り乙女ユディト。
今回の記事ではくわしい説明は割愛させていただきますが、こちらは旧約聖書の登場人物で、かんたんにいえば「色仕掛けで町を救った美女」です。
こちらの美女は首を別の人間に切らせるサロメとは異なり、自分でゴリゴリ男の首を切るので基本的に剣を手にした状態で描かれます。
男の生首とツーショットで描かれた女性の絵に遭遇したら、「盆に首をのせているのがサロメ」「剣をもっているのがユディト」と判断してまず間違いないでしょう。
ただし!
ユディトの方はこういうバージョンもいっぱいあります。
ゴリゴリ首を切っている真っ最中の絵です。
ちなみにこういう系統のユディトを最初に書いたのは、カラヴァッジョだそうです。
たくさんの記念撮影的ショットのサロメ像が描かれ続け、19世紀後半、サロメを世紀末の象徴的存在へと押し上げる予感的絵画群が描かれます。
そのサロメ像を描いた画家の名前は、ギュスターヴ・モロー。
その3 そして世紀末へ
こちら、モローが描いた《出現》。
豪奢な衣装の女性がサロメ、彼女が指さしている宙に浮かんだ首はヨカナーンのものです。
記念撮影っぽいサロメ像とは明らかに一線を画しています。
幻想的なモローの絵画は、世紀末絵画の潮流の一つである「象徴主義」の嚆矢といえるでしょう。
モローが描いたサロメ像に魅せられた一人に、J・K・ユイスマンスという小説家がいます。
デカダンスの聖書として知られる『さかしま』の作者です。
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『さかしま』からモローのサロメに言及した箇所を少しだけ引用してみたいと思います。
『瞑想的な、壮重な、ほとんど厳粛な顔をして、彼女はみだらな舞踏をはじめ、老いたるヘロデの眠れる官能を呼びさます。乳房は波打ち、渦巻く首飾りと擦れ合って乳首が勃起する。汗ばむ肌の上に留めたダイヤモンドはきらきら輝き、腕環も、腰帯も、指環も、それぞれに火花を散らす。真珠を縫いつけ、金銀の薄片で飾った、豪奢な衣装の上に羽織った黄金細工の鎖帷子は、それぞれの編目が一個の宝石で出来ており、燃えあがって火蛇のように交錯し、艶消しの肌、庚申薔薇色の膚の上に、あたかも洋紅色の紋と曙色の斑点をおび……』
『聖書の中のあらゆる既知の条件からはみ出すような想像力によって描かれた、このギュスターヴ・モロオの作品に、デ・ゼッサントは要するに、彼が永いこと夢みていた超人間的な、霊妙な、あのサロメの実現されたすがたを見るのであった。』
くらくらするような文章ですね。
言葉をつくしてモローのサロメを讃えています。
(もっとも、『さかしま』は全篇こんな感じです。)
さらにこの『さかしま』に言及しているといわれているのがオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』です。
具体的に『さかしま』というタイトルが出てくるわけではないのですが、主人公であるドリアンが夢中になる『黄色い本』は、その内容説明からしておそらく『さかしま』でしょう!といわれています。
オスカー・ワイルド。いわずとしれた戯曲『サロメ』の作者です。
もっとも有名なサロメを描いたビアズリーも『さかしま』に影響を受けまくっており、自分の家の部屋を『さかしま』の主人公デ・ゼッサントの書斎風に飾っていたという逸話が残っています。
『さかしま』を読んでモローのサロメを意識せずにいることは、画家の立場としてはなかなか難しいでしょう。
モローが描いたサロメとビアズリーが描いたサロメを並べると、似てるなぁ、とはなりませんが、どちらも多分に装飾的であり、幻想性を孕んでいるという点で共通しています。
モローのサロメ像は、世紀末から21世紀初頭にかけて現れたサロメたちの源泉なのです。
その4 いろんなサロメ
では、モロー以降、どんなサロメが描かれてきたのか見ていきたいと思います。
〇オーブリー・ビアズリー(1872‐1898)
一番有名なのは、なんといっても先ほどご紹介したオスカー・ワイルドの『サロメ』の挿絵として描かれたオーブリー・ビアズリーの作品でしょう!
ビアズリーについてはこちらで詳しく解説しておりますので、ご興味のある方はぜひご一読ください。
〇フランツ・フォン・シュトゥック(1863‐1928)
作者のシュトゥックは南ドイツ生まれの画家です。満天の夜空?を背景に青白く浮かび上がるサロメの肢体がなんともエロティックな作品です。のけぞった首筋とサロメの顔に浮かぶ微笑に凄みを感じます。
〇アラステア(1887-1969)
ドイツ出身。ビアズリーの影響が如実にうかがえる作風で知られます。ただし、ビアズリーが【黒と白の画家】と言われるのに対して、アラステアは【黒と白と赤の画家】なんていわれたりもします。かなり謎多き画家です。アラステアの絵を見ると、私の頭の中には「病的」という言葉が浮かんできます……。
〇リュシアン・レヴィ=デュルメル(1865-1953)
幻想的で神秘的で、どこか甘い雰囲気すら感じられる作品ですね。死んだ男の生首に口づけしているというより、眠っている恋人に口づけして起こそうとしているみたいです。
〇おまけ グスタフ・クリムトの《ユディト》
サロメじゃなくてユディトです。
私、ずっとこの人のことサロメだと思ってたんです。
上の方にユディトとホロフェルネスって書いてあるのに……。
その5 まとめ
いかがだったでしょうか?
今回はサロメに限定しましたが(最後にユディトが出てきましたが)世紀末から21世紀初頭にかけて、魅惑的な女性像がたくさん出てきます。
ラファエロなどのルネサンス期の画家を最高峰とするアカデミックな手法への反乱や女性の地位の向上など、さまざまな要素が絡み合って生まれた世紀末の虚像【宿命の女】たち。
もっと色々な【宿命の女】の絵を見てみたいという方にはこちらの画集がめちゃくちゃおすすめです。
とにかく収録作品が多いのと、日本ではマイナーな画家もたくさん取り上げてくれているのがありがたい。
世紀末のトピックスや【宿命の女】に関する概説も豊富で読み応えもあります。
オスカー・ワイルドの『サロメ』が読みたい!という方には光文社から出ている新訳をおすすめします。
この新訳はとにかくサロメが愛らしいです。
サロメは色々な方が翻訳されているので、読み比べてみるのも面白いかもしれません。
ただ、訳で本当に印象が変わります。
私がはじめて読んだ『サロメ』は日夏耿之介訳のものだったのですが、よ、読みづらい。
単純に私に日夏先生の美麗な文章を読むだけのスキルがないだけなのですが……。
分かりやすく一番最初のセリフを例に挙げてみたいと思います。
新訳「今夜のサロメ姫は、また、なんという美しさだろう!」
日夏「今宵のあの撒羅米公主の嬋娟さはのう!」
世界観違いすぎます。
日夏先生のめくるめく世界観に触れてみたい方にはぜひ日夏耿之介訳にも手を出していただければと思います。
次回の記事では、今回一作だけ紹介した謎多き画家アラステアについてご紹介したいと思います。
病的で退廃美あふれる作風が魅力の画家です。
ご興味のある方はぜひご一読ください!
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図版出典
図1
図2
ホロフェルネスの首を斬るユディト (ジェンティレスキ) - Wikipedia
図3
図4、5、6、7
海野弘『ヨーロッパの幻想美術 世紀末デカダンスとファム・ファタールたち』パイ インターナショナル(2017)
参考文献
海野弘『ヨーロッパの幻想美術 世紀末デカダンスとファム・ファタールたち』パイ インターナショナル(2017)
J・K・ユイスマンス、訳:澁澤龍彦『さかしま』河出書房新社(2002)
オスカー・ワイルド、訳:平野啓一郎『サロメ』光文社(2012)
オスカー・ワイルド、訳:日夏耿之介『院曲サロメ』沖積社(2004)
益田朋幸、他『西洋美術用語辞典』岩波書店(2005)